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広島高等裁判所松江支部 昭和43年(ネ)33号 判決 1977年1月26日

控訴人 東郷地下こと東郷部落

被控訴人 泉湧 外二名

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人らの本訴請求をいずれも棄却する。

控訴人が別紙目録1ないし5記載の各山林について共有の性質を有する入会権を有し、被控訴人らが控訴人の構成員ではないことを確認する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

一  当事者の求める裁判

(一)  控訴人

主文同旨の判決

(二)  被控訴人ら

「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決

二  当事者双方の主張及び証拠関係

次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決四枚目裏一二行目及び原判決別紙目録(A)中の「周吉郡」を「隠岐郡」に変更し、同七枚目裏八行目及び同一三枚目表一二行目の「一三年三月一四日」を「二〇年七月一九日」に、同一二枚目裏二行目の「兇作」を「凶作」に、右目録63の「字岩釜」を「字炭釜」に各訂正する。)。

(証拠関係省略)

理由

第一本案前の主張について

一  本訴請求について

当裁判所も被控訴人らの本訴請求について、控訴人が当事者適格を有するものと考えるが、その理由は原判決の説示(原判決一八枚目表一三行目から同一九枚目表二行目まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。

二  反訴請求について

被控訴人らは、控訴人の反訴請求は、(1) 入会団体である控訴人の構成員全員から出訴される必要があるところの固有必要的共同訴訟であるのに、その全員から出訴されたものではないから当事者適格を欠き、(2) また、控訴人の共同財産の所有及び利用の態様に関する法律的見解が被控訴人らとの間で相違しているからといつて、控訴人の権利又は法律的地位に法律的関連のある不安、危険が現存するものではないから確認の利益がなく、(3) さらに、被控訴人らが控訴人の構成員でないことの確認を求める部分は、事実の消極的確認を求めるものであるから確認の利益がなく、不適法な訴である旨主張する。

そこで、まず控訴人の当事者適格について考えるに、成立に争いのない甲第一二、第二五号証、同第五三号証の一、二、乙第六、第九号証、同第一〇号証の一、二、当審証人赤田盛男の証言、当審における控訴人代表者吉田昭尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は、その構成員全員によつて原判決別紙目録(A)の1ないし25の山林等の財産(以下「本件共同財産」という。)を共同所有しつつ、慣習及び昭和二四年一月制定した「東郷地下規約」(以下単に「規約」という。)に基づく統制のもとに、共同して本件共同財産の使用収益等(以下「利用」という。)をなすことを目的として本来的には後記旧東郷村に属する地域の住民をもつて組織され、「東郷部落」又は「東郷地下(ぢげ)」なる名称を有するところの代表者(組長)の定めのある法人にあらざる団体であること、控訴人は、右地域内の小集落を単位として編成されたいくつかの「小組」を下部組織とし、総会において選挙された組長、小組の構成員の互選によつて選出された小組長、その他山守、会計等の役員をもつて役員会を構成し(規約上は小組長ではなく評議員が役員会の構成員とされているが、評議員の制度は実際上機能していない。)、毎年一月に開かれる定例総会及び必要の都度開かれる臨時総会において重要事項について議決し、右役員会において控訴人の業務を執行していることが認められる。この事実によれば、控訴人は、民事訴訟法四六条の法人にあらざる社団であるということができる。そして、このような性格を有する社団たる控訴人は、その名において、自らが入会団体固有の総有権としての入会権を有すること及び被控訴人らが控訴人の構成員でないことの確認を求める訴(以下「入会権確認の訴」という。)を提起できるものと解するのが相当であり、右のように入会団体が代表者の定めのある社団である場合についてまで、入会権確認の訴を提起するには、その構成員全員の名においてなすことが必要であると解することはできない。また、入会団体自体で訴訟を追行する場合にも、入会権確認の訴の提起については構成員全員の承認又は委任(以下「委任」という。)のあることが必要であるとの見解があり、右見解は、もし敗訴すれば訴の提起について委任しなかつた構成員に対しても、入会権の処分に匹敵する重大な損失を被らせる結果となるという事実上の不都合を主たる理由とするものと思われるが、右見解は採用しがたい。すなわち、入会権者個人は入会権の目的物について個別的支配権能を有するが、他面、入会団体自体もまた右目的物について一般的支配権能を有し、右権能は入会団体が統一的意思の下に行動しなければならない場合に機能すべきものと解されるのであつて、構成員が総会等を通して団体意思の形成に参与すべきものとされていることは、まさにその反面において適法に形成され、代表された団体意思に構成員が拘束されることを予定しているものというべきである(本件反訴の提起が少くとも事後的には控訴人の総会において多数決により承認されていることは控訴人代表者吉田昭(当審)尋問の結果によつて明らかである。)。入会団体がいわゆる総有の主体としてその構成員の総体と観念されることは右のように解する妨げとなるものではない。実際上も、右のように解さないと、反対者に対して共同訴訟提起を強制する途がない現行法のもとにおいては、構成員の中に一人でも訴訟提起に同意しない者があるときには、訴訟の提起が不可能となり、入会権をその全体的、集団的存在形態において防衛する途がないことになるし、また、入会権者の変動等により、入会権者の範囲が不分明となつた場合(本件もその一場合である。)には、委任をとりつけるべき者の範囲が確定できず、訴の提起が不可能になるという不都合な事態が生じ、この事態は、構成員全員の委任なくして訴の提起を認めることから生ずるおそれのある前記不都合な事態に比して、はるかに重大であるといわなければならない。

次に、確認の利益について考えるに、被控訴人らが本件共同財産につき、共有又は合有の持分権を有する旨主張し控訴人と抗争していることは、本件訴訟における主張自体に徴して明らかであつて、この事実によれば、本件共同財産の所有、利用態様についての単なる法律的見解の相違が当事者間に存するに止まらず、控訴人の右財産に対する権利又は法律的地位が具体的に脅かされていることは明白である。また、被控訴人らが入会団体である控訴人の構成員であるか否かは、単なる事実ではなく、本件共同財産の所有、利用に関する諸々の権利関係を包含した法律的地位の有無に関する事柄である。したがつて、控訴人の反訴請求が確認の利益を有することは明らかである。

以上のとおりであるので、被控訴人らの本案前の主張は、いずれも理由がない。

第二本案について

序論

本訴及び反訴各請求における被控訴人らの基本的主張は、本件共同財産は被控訴人らを含む一〇三名(内一名は二口分)の共有又は合有に属し、被控訴人らはその持分権を有し、これに基づいて本件共同財産上の立木を売却した代金について配当請求権を有するというのであり、これに対して控訴人の基本的主張は、本件共同財産は控訴人の構成員全員の総有に属する入会権の対象であるところ、「旧東郷村に属する地域内に居住している世帯主であること」が構成員たる資格の重要な要件であり、右地域外に居住している被控訴人泉湧及び同藤野松次郎並びに独立の世帯主でない同藤野トヨ子は、いずれも右要件を欠くので控訴人の構成員たりえず、本件共同財産について何らの権利をも有しないというのである。そこでまず、本件共同財産に対する権利の法的性質並びに右地域外居住者及び独立の世帯主でない者の地位を究明したうえで、被控訴人らの法的地位を明らかにし、これに基づいて本訴及び反訴各請求の当否を判断することにする。

一  本件共同財産の所有・利用形態とその法的性質

(一)  東郷部落と本件共同財産の所有

1 控訴人東郷部落は、その構成員(以下「地下前権者」という。)全員によつて本件共同財産を共同所有し、慣習及び規約に基づく統制のもとに、共同して本件共同財産を利用することを目的として組織された団体である。

なお、地域の意味での東郷部落(以下「東郷地区」又は「地区」という。)は現在の島根県隠岐郡西郷町大字東郷の全地域に該当するところ、この大字東郷は、古くは東郷村(以下「旧東郷村」という。)と呼ばれる独立した一村をなしていたが、明治三七年四月一日旧東郷村が当時の飯田村、犬来村、釜村、大久村等と合併して編成された東郷村(以下「新東郷村」という。)においてはその大字東郷となり、さらに昭和二九年七月一日新東郷村が当時の西郷町、中条村及び磯村と合併して編成された現在の西郷町においてもその大字東郷となつている。

2 控訴人は、その時々の地下前権者全員によつて天保年間から原判決別紙目録(A)の1ないし13及び52の山林等の財産を共同所有し、明治初年頃から明治二〇年頃までの間に同目録(A)の26ないし51の山林等の財産をも逐次他から買い受けて共同所有し、さらに明治二〇年頃以降に同目録(A)の14ないし25及び53ないし67の山林等の財産をも逐次他から買い受けて共同所有し、これら共同財産を共同して利用して来たものである。

なお公簿上は、同目録(A)の1ないし13及び52の各土地については、土地台帳制度が発足した頃、同台帳に旧東郷村の「村中持」として登載されたのみで長らく未登記のままであつたが、新東郷村が西郷町に合併する直前の昭和二九年三月三一日新東郷村名義で所有権保存登記されたうえ、同日控訴人の役員であつた高橋政信外八名の共有名義に所有権移転登記され、また、同目録(A)の14ないし51及び53ないし67の各土地については、その買受けの都度各前主から各買受け当時の控訴人の役員の共有名義に所有権移転登記されたうえ、逐次現在の控訴人の役員の共有名義に所有権移転登記されている。

もつとも、同目録(A)の26ないし47及び50ないし52の各土地は後に他へ売却され、同48及び49の各土地は後に自作農創設特別措置法によつて政府に買収され、同53ないし67の各土地は後に当時の地下前権者九九名を三三名宛の三組に編成したうえ、各組の組員全員に適宜分配譲渡されたから、結局、同目録(A)の1ないし25の本件共同財産のみが現在地下前権者全員によつて共同所有されている。

以上の事実は当事者間に争いがない。

(二)  本件共同財産の利用・管理形態

前顕甲第一二号証、乙第六号証、成立に争いのない甲第四、第一〇、第一四ないし第一六、第一八ないし第二〇号証、同第二八号証の七、八、同第六六号証、乙第五、第七、第一三ないし第一六号証、同第一七号証の一、二、同第一八ないし第二三号証、同第二四号証の七、八、同第三〇号証、同第三一号証の一、二、証人藤野森男(原審)・同高梨寅喜代(原審、当審)・同高井武義(原審)・同広江広太郎(原審)・同赤地林市(当審)の各証言、控訴人代表者赤田盛男(原審)・被控訴人泉湧本人(原審、当審)各尋問の結果、当審における鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

控訴人の共同財産は、旧幕時代から「地下山」(「地下」とは部落の意味である。)と呼ばれており、当初、東郷地区において一戸を構える世帯主たる住民(地下前権者と一致していたものと思われる。)及びその家族は、地下山に自由に出入りして草刈り、薪取り、きのこ取り等をし、また一定の規制の下に栗拾いをして収益していたが、その後明治末年頃から、共同して地下山において松、杉等の植林、その下刈り、間伐等の造林作業に従事するようになり、天然林とともにこれらを保全、育成し、またこれら人工及び天然の立木を売却すること等によつて収益をあげるようになつた。

右共同財産の管理・処分、造林計画、立木の売却、収益金の利用等は、総会及び役員会において決定施行されてきたもので、このような共同財産の管理運営等に行政単位としての旧東郷村及び新東郷村が関与することはなかつた。

控訴人が前記のとおり明治の終り頃から草刈り、きのこ取り、栗拾い等の共同財産に対する自然経済的利用形態を残しながらも、造林事業とそれに伴う収益の管理利用をもつてその主たる目的とするようになつたのに伴い、地下前権者は、道路・橋梁の改修工事等の作業に出役するほか、一年に数日間造林事業のために植付け・下刈り・間伐等の作業(以下「造林作業」という。)の出役義務を負い、地下前権者ないしその家族において自ら出役ができない場合には代人を雇つて出役させたり、一定の金銭を支払つて出役しなかつた分を清算することができた。控訴人は、出役に対して、当初は金銭を支払わなかつたが、その後時折立木処分収益から弁当代と称して金銭を支払うようになり、昭和二七年頃からは山林の仕事に対する一般の日当の相場よりもやや少ない額の金銭を支払うのが常態となつた。

そして、天然及び人工の立木は、地下前権者あるいは木材業者等に売却処分され、その収益は、苗木の購入・山林の管理等の造林費、控訴人の運営費等に充てられるほか、地下前権者家族の葬儀費用、祭礼の際の神社への寄付、道路・橋梁等の改修及び公共施設の工事に当つての公共団体に対する寄付等にも支出された。なお近年、中学校屋内体操場建築資金の寄付が東郷地区に割当てられた際、地下前権者でない地区住民はそれぞれ自ら寄付金を支出したが、地下前権者は、控訴人が共同財産による収益から寄付をしたため、個人としての寄付をしなかつた。また共同財産の収益を右のような共益費として支出してなお余剰がある場合には、これが地下前権者個人に分配されるようになつた。控訴人は、総会において、その収益金を分配する旨及び地下前一口当りの配当額を決議して、原判決別紙目録(C)記載のとおり、昭和一一年までは時折、昭和二七年以降は毎年配当を行つて来た(この事実は当事者間に争いがない。)ほか、昭和二年、昭和三年及び昭和二六年にも配当を行つた。さらに、地下前権者が凶作、災害等で困窮し、救済を要する場合や家の建てかえ又は補修のために木材を必要とする場合には、役員がその必要性を調査したうえで、伐採すべき木を選定して木に印をつけ(印がつけられた木を「符丁木」という。)、伐採を許された地下前権者において符丁木を伐採していた。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  地下前権者たる地位の内容・得喪

前顕甲第四、第一〇、第一四、第一五、第一八、第一九号証、乙第五、第六、第二二、第二三号証、成立に争いのない甲第一一、第一三、第一七、第二五ないし第二七、第五一、第五五、第七四号証、証人藤野森男(原審)・同高梨寅喜代(原審、当審)・同高井武義(原審)・同広江広太郎(原審)・同赤田盛男(当審)・同赤地林市(当審)の各証言、控訴人代表者赤田盛男(原審)・被控訴人泉湧本人各尋問の結果(原審・当審、ただし後記措信しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1 東郷地区の戸数は、旧東郷村当時一〇〇戸位であつたが、その後分家したり、大正時代以降地区内に移住する者が増加したりして、現在では約二〇〇戸に達しているところ、地下前すなわち地下構成員たる地位(ないしは構成員として有する共同的権利の持分)は、従来、東郷地区に居住して一戸を構える(これを「カマドを持つ」と言つている。)世帯主で、天保年間に地下前権者であつた者(その数は当時の地区の戸数と一致していたものと思われる。)の承継者がこれを有していたものであり、地下前権者が死亡した場合の地下前の承継は、通常、家督相続によりその家を継ぐことによつてなされて来たが、家を継ぐ者でさえあれば、必ずしも相続人であることは必要とされておらず、このことは現行民法施行後も変らなかつた。しかし地区外からの移住や分家によつて東郷地区内に一戸を構えて世帯主となつても、その者が当然に地下前を取得することはできなかつた(この事実は当事者間に争いがない。)。

ところが、大正の頃から地下前が譲渡の対象となるようになり、地区内に居住して一戸を構えていながら地下前を有しない者の中には、地下前を持つ者からこれを売買又は贈与によつて譲り受ける者が現われ、あるいは一旦他に譲渡した後再び地下前を買い受ける者を生じた。その具体例は、原判決別紙目録(B)記載のとおりであり(ただし承継の時期を除く。)、中には藤野森男や藤野昭夫のように、既得の分に新たに譲り受けた分を合わせて二口の地下前を有した者もあつた(もつとも藤野森男はその後内一口を被控訴人藤野トヨ子へ譲渡しており、また藤野昭夫は昭和二八年に内一口分の権利行使を停止された。)が、地区内居住者以外の者は地下前を譲り受けることはできないものとされており、現にそのような者に対してこれが譲渡された例は今までに一件もない。なお、地下前の譲渡及び前記の意味における相続は、組長に届出られ、役員会が後記規約一一条の(イ)ないし(ハ)の要件を審査し、総会においてその可否を決する建前になつていたが、実際上は届出だけで黙認されることが多く、後日役員から総会に対して単に報告されるに止まるのが通例であつた。

そして、地下前を譲渡した者は、以後当然に共同財産に対する権利を失うものとされる一方、これを譲り受けた者は、従前からの地下前権者と権利義務の点で全く同等に扱われた。

2 控訴人は、敗戦の結果、外地からの引揚者等、部落の出身者で帰住する者が増加したので、地区内居住者で一戸を構えており、地下前権者と縁故のある者は仲間に入れてやつた方がよかろうとの考慮から、昭和二三、四年頃過去に例のなかつた新規加入を認めることにし、以後数年間に加入金を納付させて五名の者に対して地下前を与えたが、その後収益金を毎年配当するようになつた関係もあつて、新規加入を絶対に認めるべきではないとの意見が大勢を占めたため、右五名以外の新規加入者は絶無である。なお、右新規加入に際しての加入金は、金一、五〇〇円ないし金二、五〇〇円と定められて納付されたが、右金額は当時における持分の客観的価値に比してかなり少額であつた。

また、昭和三〇年二月一六日地下前権者の高梨新太郎が控訴人から金二万円の融資を受けるに当り、同人の有する地下前を控訴人に対して売渡担保に供したため、以後無権利者扱いされたが、同人は、昭和三一年八月六日には右借入金を返済し、権利者として復活したことがある。さらに、吉田定己は、昭和三一年六月二三日規約違反を理由に除名されたが、同年一一月三日には地下前権者としての復活を認められた。

以上の事実が認められ、右認定に反する当審における被控訴人泉湧本人の供述部分は措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(四)  地下規約

前顕甲第四号証(一部)、同第一〇号証、乙第五号証、同第六号証(一部)、証人高梨寅喜代(原審、当審)・同広江広太郎(原審)・同高井武義(原審)・同赤田盛男(当審)の各証言、控訴人代表者赤田盛男(原審)・被控訴人泉湧本人(原審)各尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

地下前権者である高梨新太郎は、昭和二三年頃控訴人の運営、地下前の得喪及び共同財産の管理利用等に関し、従来の慣習及び新たな制度を内容とする規約(甲第二五号証)を起案作成し、右規約は、昭和二四年一月頃の総会において、少数の欠席者を除く地区在住の地下前権者(以下「在村者」ともいう。)全員の賛成により可決されたが、右規約中で新規の事項に関するもの、あるいは従来の慣習が不明確になりつつあつた点を明確化したものとしては次の各条項が主要なものである。

一一条 地下前の新規加入は役員会の議決を要す。

役員会は左の事項を審議す。

(イ) 区内現住者にして自己の住居なるや。

(ロ) 永住の見込みあるや。

(ハ) 区の統制に服し其義務を履行しうべき人物なりや。

前項に依り可決せられたる者は加入金を納付したる時に於て効力を発生す。

一二条 地下前加入金の額は概ね毎年社会情勢を考慮の上決定する。

一三条 地下より脱退するものに対しては加入時の金額に不拘其年度の額を支払う。

一四条 地下前は個人間の売買は之を承認せず。又一口以上の所有を承認せず。但し本規約作製前に於て現に二口以上を所有し居るものは之を認む。

二九条 本人が地下前加入者たることに依て地下運営上著しき障害を与えたる場合は総会の決議により除名す。但し右の場合は加入金の払戻しをなす。

以上の事実が認められ、右認定に反する甲第四号証、乙第六号証、当審証人赤地林市・同高梨寅喜代・当審における被控訴人泉湧本人の各供述部分は措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(五)  本件共同財産に対する地下前権者の権利の性質

右(一)ないし(四)において認定した事実に基づき、当審における鑑定の結果を参酌して、本件共同財産に対する地下前権者の権利の性質について検討する。

1 一般的には、東郷部落においては、明治以前までは地区内のほぼ全戸の世帯主が、自然経済的な態様でその共同財産について入会稼をしていたが、明治以降の日本における商品経済の急速な発展がこの地方にも浸透して来た結果、共同財産の利用価値が漸次立木へと移行して、後年立木売却等による金銭的利益を生ずるようになる一方、地区住民の移動をも生ずるようになつて、地区住民の中にも地下前を有しない者を多く生ずるとともに、地下前の譲渡や新規加入が行われるようになつたが、この点を除いては地下前権者たるための資格やその共同財産に対する支配形態に根本的な変更はなく、また共同財産は単に地下前権者の収益源となるのみならず地区における村落共同体の経済的基盤としての意味をも有し、その管理や出役義務の履行に関しては地下前権者相互間の精神的紐帯に基づく協力関係が重視されて来たものと言うことができる。

2 そして、個別的事象については、次のように言うことができる。

(1)  地区住民の中に地下前を有しない者が存すること、換言すれば、地区住民の総員が地下前権者でないことは、本件共同財産が入会権の目的であるか否かの問題とは無関係である。江戸時代の「村中持」の主体は、一定地域の居住者の総員であつたのではなく、むしろ村持集団の構成員として承認されない居住者が存在するのが常態であつたし、今日各地にみられる入会団体においても異なるところはないからである。一般に「入会権は一定地域の住民全体に総有的に帰属する。」と言われるが、右の「住民」とは、「居住者」を意味しているのではなく、「入会団体の構成員として承認されている人」を指しているものと理解すべきである。

(2)  地下前権者が死亡した場合に、その「家」を継ぐ者が地下前を承継するという慣行は、他の多くの入会団体におけると同様に、現行民法施行後も一貫して維持されている。

(3)  地下前の譲渡は、規約制定以前においても地下前権者の自由に委ねられていたわけではなく、控訴人の統制の下におかれていた。すなわち、譲受人は、在村者に限られており、かつ、総会の承認を得て初めて権利者として認められた(もつとも、明示的に承認を与えられることは少なく、譲受人が譲り受けの事実を組長に届出るだけで黙認されることが多かつた。)。

右地下前の譲渡が行われている(その結果として地下前を二口有する者も現われている。)ことからして、地下前権者には一種の持分があると認められるが、このことをもつて控訴人が入会団体であることを否定することはできない。地下前権者の有する持分は、本件共同財産に関する権利義務の総体ないしその基礎としての「集団構成員たる地位」として把握されるのであつて、この意味における持分は、入会権についても存在するものと考えられるからである。

そして、右の意味における持分の譲渡は、他の入会団体においても時として認められているところであつて、この事実があるからといつて、控訴人が入会団体であることを否定することはできない。重要なことは、持分の譲渡について前記のような団体的統制がなされているという点である。

(4)  規約には、脱退者に対しては脱退当時の加入金相当額を支払い、被除名者に対しては加入金を払い戻す旨の規定がある。しかし原審における被控訴人泉湧本人尋問の結果によれば、右規定は、従来の慣行になかつたことが規約において初めて定められたものと認められるところ、原審証人高井武義の証言によれば、新規加入者以外の地下前権者については過去に加入金を納めたという事実がないので、除名の際の加入金払戻の規定は新規加入者のみを念頭に置いて規定したものであることが認められる。この事実に、控訴人が脱退者(過去に脱退者があつたことを認めるべき証拠はない。なお不在者については後述する。)ないし被除名者に対して右規定により加入金を払戻した事例があることを認めるべき証拠がないこと、事実上、新規加入者は昭和二三、四年ごろ以降数年間の五名のみにとどまり、その支払つた加入金の額も持分の客観的価値に比してかなり少額であることに照らすと、右規定の存在をもつて、脱退ないし除名に際して控訴人の共同財産に対する地下前権者の持分が清算される慣行があつたものとみることはできない。なお当審証人赤田盛男・原審証人広江広太郎の各証言及び当審における控訴人代表者吉田昭尋問の結果によれば、本件共同財産に対する分割請求等が予定されておらず、現にこのような請求がなされたことは一度もないと認められる。

前記認定の諸事実及び右判断に照らせば、地下前権者の本件共同財産に対する権利は、共有の性質を有する入会権であり、控訴人は入会権者の団体であるということができる(なお、以上の判断について、規約一四条の効力は無関係である。)。

なお、被控訴人らは、本件共同財産のうち原判決別紙目録(A)の14ないし25の山林等は、近代的私所有権制度が確立した後に取得されたのであるから、当初より決して総有でも入会でもない旨主張するが、右物件は、同目録(A)の1ないし13及び52の山林等を入会権の対象として総有していた入会権者団体である控訴人が買い受けたものであるところ、原審証人広江広太郎の証言及び弁論の全趣旨によれば、地下前権者は、右物件買い受け後これを当初の山林等と一体のものとして、従前の慣習(後には規約も含めて)の下で利用して来たことが認められるのであるから、これもまた入会権の対象となつたものと言うべきで、被控訴人らの主張は採用できない。

二  不在者等の法的地位

(一)  不在者等に対する取扱いと規約等

不在者が入会団体である控訴人の構成員であるか否かの法的判断は、現実に不在者がどのように扱われてきたかという事実に基づいて判断されるべきことは言うまでもないところ、前顕甲第四、第一〇、第一二、第一七ないし第二〇、第二五ないし第二七号証、同第五三号証の一、二、乙第五、第六号証、成立に争いのない甲第五ないし第九、第二一、第二二号証、乙第一号証、証人高梨寅喜代(原審、当審)・同赤地林市(当審)・同赤田盛男(当審)の各証言、控訴人代表者赤田盛男(原審)・同吉田昭(当審)・被控訴人泉湧本人(原審、当審)各尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1 地下前権者のうち東郷地区から他に移住した者あるいは移住した者の承継人で地区内に居住していない者(以下これらの者を「不在者」という。)は、他人を雇つて、地下前権者の諸義務のうちの造林作業に出役し、出役できないときには一定の金銭を支払つたりして来た。しかし、不在者(以下特に断らない限り、地区内にカマドを残置せず、帰郷する見込みのない不在者を念頭に置いて述べる。)には総会への出席権はないものとされ、これに対して総会開催の通知はなされず、その結果も報告されなかつた。なお、被控訴人泉は、本件紛争発生後総会へ出席しようとしたが、議長から退場を命じられてその目的を果せなかつたことがある。

2 被控訴人藤野トヨ子は、後記のとおり、地区内に居住し独立のカマドを有していなかつたが、出役して収益の配分を受けていた。

3 ところで、控訴人の役員は、未だ利益配当が一般化していなかつた昭和二三、四年頃総会の決議に基づき、不在者の代人による出役を差し止め、また藤野昭夫の二口の地下前のうち一口分については独立したカマドがないから権利がないとの理由で、被控訴人藤野トヨ子については、地下前権者である父森男の家に寄寓しており、独立のカマドを有しないから権利がないとの理由で、いずれもその出役を差し止めた。

なお、控訴人は、昭和二四年に作成した「東郷地下名簿」(甲第二六号証)に在村者・不在者等の区別なく地下前権者として屋号及び氏名(ただし被控訴人泉については、当時その名前がわからなかつたので姓のみ)を記載していたが、昭和二九年作成の「共有権者名簿」(同第二七号証)には、不在者及び被控訴人藤野トヨ子等について、名簿の末尾に一括して屋号だけを記載するに止めている。

4 控訴人は、不在者及び被控訴人藤野トヨ子に対しても、他の地下前権者に対すると同等の利益配当をなして来たものであるところ、総会の多数決により、不在者及び被控訴人藤野トヨ子等に対して、昭和二七年度以降の分については請求原因六記載のとおり他の地下前権者よりも少額の利益配当しかせず、昭和三二年度以降の分については何らの配当もしないこととした(この事実は当事者間に争いがない。)。

5 前認定の如く制定された規約には、次の定めがある。

一五条 各人は如何なる差別もなく平等なる権利義務を有す。

二〇条 地下前所有者村外に現住する場合山林保全関係の作業以外は免除す。

そして、右規約制定後の昭和二九年一月一四日の総会において、不在者を排斥する意図のもとに、「今後一〇年間に不在者が復活しない場合は地下前を消滅せしめること」との議案が提出されたが、右議案は否決され、同総会は多数決で不在者の地下前を無期限に認めることに決定した。

以上の事実が認められ、右認定に反する甲第一〇号証、原審証人高梨寅喜代・原審における被控訴人泉湧本人の各供述部分は措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(二)  本件共同財産に対する不在者の法的地位

右事実に基づき、当審における鑑定の結果を参酌して考えるに、

1 控訴人において、不在者に対しては、入会権者の基本的な権利である総会への出席権が認められておらず、また総会の結果も報告されていない。この事実は、不在者がもはや控訴人の構成員として扱われていないことをうかがわせる重要な事実である。

2 不在者は、昭和二三、四年頃これを差し止められるまで、代人により造林作業に出役しており、控訴人もこれを受容していたのであるが、この事実をもつて、不在者がなお控訴人の構成員として扱われて来たものと認めることはできない。前述のとおり、地下前権者の義務は、単に造林作業にとどまるものではなく、村落共同体や控訴人の維持発展のための日常的な諸々の義務を包含しているものであつて、地区から転出した不在者がこれらの義務を完全に果すことは不可能であり、その置かれている立場上、義務を完全に果し得ない以上、権利を行使し得ないのは当然のことだからである。控訴人においては、不在者でも帰郷し地下前権者として復活する途が残されているのであり(後述する。)、この意味では潜在的な地下前権者といえるのであつて、不在者が造林作業に出役し、控訴人がこれを受容して来たのは、当事者が意識すると否とに拘らず、この潜在的関係を維持する役割を果す一方、当時不在者に対しても行われて来た時折の利益分配に対応する情誼上の奉仕としての意味を有していたにすぎないものと言うべきである。控訴人が昭和二三、四年頃不在者の出役を差し止めたのは、右のように不在者が地下前権者でないことを明瞭ならしめるためであり(前顕甲第一八号証)、決して不在者に代人まで雇つて出役させるのは気の毒だからという理由(前顕甲第一〇号証)ではないと言うべきである。このことは、不在者の出役差止と同時に、藤野昭夫の二口の地下前のうちの一口分及び被控訴人藤野トヨ子については、独立したカマドを有しないから権利がないとの理由で、いずれもその出役を差し止めていることに徴して明らかである。

規約二〇条の規定の趣旨については、帰郷する意図が明らかな一時的不在者(例えば出稼ぎ等)を対象として規定したものであり、地区内にカマドを残置せず帰郷する見込みのない不在者を対象としたものではないとの供述(原審証人広江広太郎・同高井武義の各証言)と、カマドを残置しない不在者も従来道路工事等の造林作業以外の作業にも代人を雇つて出役していたが、このような作業にまで代人を雇つて出役させるのは気の毒だとの気持から、新たにこの規定を設けた旨の供述ないし供述記載(前顕甲第一〇号証、原審証人高梨寅喜代の証言、原審における被控訴人泉湧本人尋問の結果)とがあるが、前記認定、判断のほか、右規約制定に相前後して、控訴人が不在者の出役を全面的に差し止めている事実に照らすと、後者の供述ないし供述記載は措信できず、前者の供述に従い、右条項は一時的不在者を対象としたものと認めるべきである。

そうすると、右規定の存在をもつて、控訴人がカマドを残置しない不在者についても出役義務を認めており、換言すれば、右不在者が地下前権者であることを認めているものと解することはできない。

3 昭和二四年作成の東郷地下名簿に不在者・在村者の別なく登載していることをもつて、不在者も地下前を有することの根拠とすることはできない。何となれば、前顕甲第二一号証、証人高井武義(原審)・同赤田盛男(当審)の各証言、控訴人代表者赤田盛男(原審)・同吉田昭(当審)各尋問の結果によれば、地区内にカマドを残さないで転出した地下前権者で再び帰郷した者は一名もないが、在村者としては、右のような者に対しても、後日再び帰郷してカマドを持つた場合には、原則として地下前権者として復活させる意図を有しており、このような気持から不在者も潜在的には地下前を有するものとして、これを名簿に登載したものであり、その後の昭和二九年作成の共有権者名簿においては、この趣旨が明瞭になるように記載したものと認められるからである。

4 規約一五条の規定は、地下前権者について規定したものであつて、これを根拠に不在者も地下前権者であるということはできない。

また、昭和二九年一月一四日の総会決議は、既に認定した事実の中でこれを考察すれば、「今後一〇年以内に不在者が帰郷してカマドを持たない場合には、その後帰郷しても地下前権者として復活させない。」との提案が否決され、無期限に復活の余地を残す旨の決定がなされたにすぎないものと把握すべきものであつて、右議決をもつて、不在者も地下前権者であることの根拠とすることはできない。

5 多くの入会団体において、離村して入会権者たる地位を失つた者に対しても、離村者が在村中に奉仕、協力した結果たる立木の売却代金については、その奉仕、協力による寄与を考慮して配分しており、しかも離村後の年月の経過とともに、離村者の寄与分が在村者のそれに比して相対的に低下して行くものと意識され、配分額を漸次減少させる措置がとられる場合が少なくない。

控訴人においても、多くの入会団体においてみられる右経過と同様の経過をたどり、ついには全く配当しない措置をとるまでに至つているのである。控訴人において、まず不在者に対して出役を差し止めて、地下前権者でないことを明瞭にさせた後も、なお減額配当し、次いで配当中止の措置に出ていることに照らすと、不在者に配当したのは、「親心から」「温情主義から」「恩恵的に」したものであるとの説明(当審証人赤田盛男の証言、原審における控訴人代表者赤田盛男尋問の結果)は、十分納得できるものといえる。また前記のとおり、控訴人の方から不在者の出役を差し止めているにも拘らず、不在者と在村者との間で配当額に差をもうけた理由について、「出役に応じなかつたため」とか「下刈りに出ていないから」とか「奉仕に差があるから」と説明する者がある(前顕甲第四、第一二号証、乙第一、第五、第六号証、原審証人高梨寅喜代・当審証人赤地林市の各証言)のも、明瞭に意識してではないが、以上に述べた事情を表現しようとしたものであるとみることができる。

そして、前記のとおり、事実の上でも、地下前権者の義務は単に造林作業に出役することに尽きるものではなく、不在者が代人によつて出役しても、在村者と全く同じに義務を果すことは不可能である。このようにみてくると、従前、数回にわたり不在者に対しても在村者と差別なく立木売却代金の配当がなされた事実は、決して不在者がなお地下前権者であることを十分に裏付けるものではないと言うべきである。

以上の認定判断を総合すると、控訴人においても、他の多くの入会団体にみられると同様に、カマドを残置しない不在者は、帰郷して再びカマドを持ち、地下前権者としての復活を認められない限り、入会団体である控訴人の構成員たりえず、本件共同財産に対して、その収益の配当請求権を含めて何らの権利をも有しないものというべく、総会の多数決(入会権そのものの処分ではなく、余剰金の配当に関することであるから、全員一致の決議である必要はない。)により、在村者に比して減額された配当金を支給され、あるいは配当を中止されても、これについて異議を述べることはできない。このことは、不在者が配当の可否、金額を決定する総会に出席する権利を有しないことの当然の帰結でもある。

なお、被控訴人らは、控訴人の総会において地下前一口当りの配当額が決議されると、不在者にも決議額どおりの配当をなす慣習があつたから、この慣習に基づき、在村者に対すると同額の配当を請求する権利を取得した旨主張するが、本件で問題となつている年度については、特に不在者に対しては在村者よりも減額して配当する旨あるいは全く配当しない旨を総会において決議しているのみならず、不在者に対する配当の趣旨が右に述べたとおりのものである以上、これを根拠としてその配当請求権を永続的な権利として確立するような慣習の存在を肯定する余地はないから、被控訴人らの右主張を採用することはできない。

三  被控訴人らの法的地位

(一)  被控訴人泉湧

被控訴人泉湧が昭和二〇年七月一九日父松次郎の死亡により家督相続したことは当事者間に争いがなく、前顕甲第一九、第二〇号証、成立に争いのない乙第二六号証の一、原審及び当審における被控訴人泉湧本人尋問の結果によれば、同被控訴人の父松次郎は、もと東郷地区に居住して地下前を有していたが、明治の終り頃その母だけを残して鬱陵島へ移住したこと、昭和四年頃同女が死亡したため、東郷地区の家は居住者がなく廃絶したこと、右被控訴人は、明治四三年一一月六日同島で出生したものであるところ、同島で父を失い、昭和一九年頃引揚げて来たものの、地区内に家もないところから、地区外である当時の西郷町に居住して現在に至つており、地区内に居住したことは一度もないことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右事実によれば、右被控訴人が地区内にカマドを残置しない不在者であり、本件共同財産について何らの権利も有しないものであることは、既に述べたところから明白である。  (二) 被控訴人藤野松次郎

前顕甲第一四、第二二号証、成立に争いのない乙第二七号証及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人藤野松次郎の兄善市が東郷地区内に居住して地下前を有していたが、昭和二〇年六月二七日死亡したこと(死亡の時期については当事者間に争いがない。)、右被控訴人は、大正一四年頃から地区外である米子市に居住して現在に至つているものであるところ、兄善市の死亡後、法定及び指定の家督相続人がなく、家督相続人の選定もなかつたため、民法附則(昭和二二年法律二二二号)二五条二項により同被控訴人らが共同相続したが、親族会議の結果、同人以外の相続人が相続財産に対する権利を放棄したので、同人が右善市の財産をすべて承継したこと、地区内にあつた家もそのうちになくなつてしまつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右事実によれば、右被控訴人は地区内にカマドを残置しない不在者であつて、本件共同財産に対し何らの権利も有しないものというべきである。同被控訴人は、右善市の死亡以来、同人の有していた地下前を含む全財産を相続によつて承継取得したものと信じて、平穏公然にこれを管理処分して来たのであつて、かく信ずるにつき過失がなかつたから、地下前を昭和三〇年六月末日には時効取得した旨主張するが、既に述べたとおり、控訴人においては、地区内に居住することが地下前権者としての要件とされており、地区外に居住する者は地下前権者として扱われていなかつたのであるから、地区外居住者である右被控訴人が地下前を時効取得する余地はない。

(三)  被控訴人藤野トヨ子

前顕甲第四、第五(一部)、第一〇、第一四、第一八、第二〇、第二二、第二六、第二七号証、成立に争いのない同第二三号証、前顕乙第一〇号証の一、証人高梨寅喜代(当審)・同藤野森男(原審)・同広江広太郎(原審)・同高井武義(原審)の各証言、原審における控訴人代表者赤田盛男尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

被控訴人藤野トヨ子の父森男の兄忠一は、もと東郷地区内に居住し、屋号を板屋隠居と称して地下前を有していたが、地下前を右森男に譲渡し、将来同人の養子となつて板屋隠居を継ぐ者にこれを与えて欲しいと言い残して、大正六年頃朝鮮へ渡り、昭和一二年二月一六日死亡した。右森男は、忠一の死亡を間もなく知つたが、昭和二七年被控訴人藤野トヨ子を右忠一の養子とする旨の戸籍上の届出をし、その頃同人から譲り受けた地下前を同被控訴人に与えた。そして、右被控訴人は、その後も父森男の家に寄寓しており、未だ独立のカマドを有するに至つていない。

しかし、他の地下前権者らは、忠一が死亡した事実を知らず、同人が未だ生存しており、被控訴人藤野トヨ子がいずれは忠一の地下前を承継するものと信じていた。そこで控訴人は、前認定のとおり、昭和二三年頃右被控訴人の出役を差し止め、昭和二四年作成の東郷地下名簿には「板屋隠居・藤野忠一(原文は「忠市」)」と記載していたが、昭和二八年一月一五日の総会において多数決で板屋隠居分の地下前を将来不在者と同じ扱いにする旨決議し、昭和二九年作成の共有権者名簿には、末尾に屋号のみを記載して不在者扱いにした。

以上の事実が認められ、右認定に反する甲第四号証の記載部分は措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

前記一において述べたところによれば、控訴人においては、地下前権者たりうる要件としては、独立して一戸を構える(カマドを持つ)ことが重要であるというべきところ、右認定事実によれば、右被控訴人がこの要件を欠くことが明らかであつて、同人は地下前権者たりえず、また収益金の配当に関する前記判断に照らすと、本件共同財産に対し、配当請求権を含め何らの権利をも有するものではないと言うべきである。そして前記二の末尾において述べたと同一の理由により、右被控訴人が配当を受けて来た事実があるからといつて、右結論に影響を及ぼさないと言うほかない。

第三結論

以上述べたとおり、控訴人は本件共同財産につき共有の性質を有する入会権を有し、被控訴人らは控訴人の構成員でないものというべきであるから、本件共同財産の一部である別紙目録1ないし5記載の各山林についての控訴人の反訴請求は理由があるから認容すべく、被控訴人らの本訴請求はいずれも失当であるから棄却すべきである。よつて、これと異なる判断をした原判決を主文記載のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 干場義秋 加茂紀久男 瀬戸正義)

(別紙)目録

1 島根県隠岐郡西郷町大字東郷字深山一番

山林 四〇町

2 〃字深山五番

山林 二反

3 〃字深山一二番二

山林 八畝一六歩

4 〃字深山一八番

山林 六畝

5 〃字深山二七番

山林 二反六畝二〇歩

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